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最近は、私が考えること、言うこと、することが誰かの役に立ちますようにと願いながらかいています。

守られている。

私が、

守られているんだなぁ…と思う理由は、

 

今では単純に、

「そう感じるから」

ということもできるけど、

 

そう思うようになるまでには、

やはりステップがあったように思う。

 

 

誰にでも一度や二度、

あのとき死んでもおかしくなかったな、

と思ったことがあると思う。

頭をぶつけたり、交通事故に遭ったりとかね。

 

 

私も何度かそういうことがあって、

そういう経験を重ねるごとに、

だんだんと、

「生かされてる」と思うようになってきた。

 

突っ走ってるときとか、

「生きてるイミってあるのかなぁ…」とか思ってるときなんかにそういうことが起こったりしてね。

 

何か起こった時、

そんな自分が無事だった、って…

 

なんだろ、

そういうときって、他人は助けられない場面でしょう?

運、というか。

お任せするしかない、というか。

 

人の力が及ばない領域だよね。

 

 

そういう経験を何度か繰り返しているうちに、

だんだん「生かされてる」と思うようになってきた。

 

「まだ生きてていいよ」と言われているような気がするから、

じゃあできることはやろう、って気になる。

 

 

他にも、

たとえば私が今生きている舞台、

こんな片田舎で、人口も少なくて、人に認められる才能も特にない人が先生やってて…

傍から見たらそんな感じの私たちのヨガスタジオが、こうして何年も継続できているのも、

 

「あっていいから」だと思っている。

 

スタジオはあいかわらずここにあるし、

生徒さんも来てくれるから、

私もここにいられる。

 

ここでできることが、まだあるから、

この場所が与えられているんだと思っている。

 

 

生きてていいから、いる。とか、

あってもいいから、ある。とか、

 

私にとっての「守られている」というのは、そういうこと。

 

 

正直、

ヨガは好きだけど、

私は貢献する手段はヨガでなくてもいいと思っている。

 

今は、ヨガの先生という仕事を与えられているから、それを頑張っている。

 

でも、もしこの先、

それが変わったとしても、

その時は、他にやるべきことができたんだなぁ。と思って次に与えられたことを頑張ろうと思う。

 

そう思えるようになったのは、

やっぱり、

「守られている」と思えるからじゃないかな。

 

見えないファクターが、

いつも私たちを取り巻いて、

行くべきところへ連れて行ってくれるから、

 

だから抵抗しないで流れに乗ってみたらおもしろいかな、と、

そんな感じで生きているわけ。

 

私にとって人生は「自分で切り開くもの」ではないのかもしれない。

 

守られながら流れていく、って感じ。