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ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

自己受容について

自分を受け入れる、ということはどういうことか考えてみた。

 

前にも書いたように「自分とは何か」が定義できなければ、そもそも何を受け入れるのかよく分からないことになってしまうけれど。

 

「自己受容」を例を挙げて私なりに説明すると、

 

例えば、

 

仕事もあって、結構お給料ももらってて、彼氏もいて、または旦那さんもいて、子供もいて、家も建てられて、若く見られて、友達も多いし、旅行も行けて、欲しい物もだいたい買えて、貯蓄も結構あって…な私だから、

自分に満足してると言えるのかもしれないということ。

 

これがもし正反対で、

 

仕事はバイトで、時給は上がらなくて、彼氏も旦那もいなくて、家もボロいし、美人とも若いとも言われたことがなくて、友達もなんか冴えないし、旅行も格安でしか行ったことがない、セール品ばっか買っていて、貯蓄もほとんどない…な私だったとしても、

 

今と変わらず、自分に満足できると言えるかどうか。

 

 

ある程度自分に満足できたと感じたとき、

 

本当に自分を受け入れられているか、

または、

自分がもっているアクセサリーがあるから受け入れられているのか、

 

全く違った答えになると思う。

 

なぜなら、

条件を満たして初めて自分を受け入れているのなら、

それを失うことがとてつもなく恐ろしく感じるはずだから。

 

前者のような人生を目指すことは悪くないけど、それにしがみついてたら結局は心の奥で苦しんでるし、

後者でも、スッキリと手入れが行き届いた生活を送っている気持ちのいい人もたくさんいるわけだから。

 

目に見えるもので自分を測っているのかいないのか、

というのがポイントだと思う。

 

私はどうだろう、とよく思う。

 

まぁ、でも今あるものは既に結果なわけだから、もし全部がひっくり返ったら…なんて考えるのは時間の無駄かな。とも思うんだけどね。

 

与えられたものを、受け取る。

 

それで、どんな風に成長していくのかは、その人次第だよね。

 

どうリアクションするかが、次の結果を導くもとになるわけだから。

 

書いてみて思ったのは、

よく言う「執着を手放す」って、自己受容ととっても関係が深いんだな。ということ。

 

あってもなくても大丈夫だけど、

欲しいものは欲しいんだから、

ルールを守りながら求めて、

求めながら成長する。

そして、最終的に手に入るか入らないかは私の手の内にはないけどね。

 

というので十分ですかね。