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ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

もっと一部でいい

土曜日、ACO先生のテンセグリティーヨガWSに参加した。

初めてのテンセグリティーヨガ。

 

第1部は、クイズの答えが「金魚」しかわからなかった。他の人はみんな物知りで、ちゃんと答えてた。

ちなみに、答えが金魚の問題は「おたまじゃくし、金魚、ヒヨコ、大人はどれ?」。誰でもわかる。

 

第2部では、先生のテンセグリティーに対する思いを聞いて、なんか、とっても力が抜ける感じがした。

 

「もっと一部でいいかな」と思えた。

私たちの日常の場面ごと、そこにいる人はいつも違う。いつも違う組み合わせ。

昨日スーパーで居合わせた人たち、今スタジオにいる私と生徒さんたち、夕方寄ったコンビニにいる私と店員さん、信号待ちをしている私とおじさんと向こう側にいるおばあさんと学生たち…

 

いつもいつもそれは変化している。

昨日と同じメンツでも、昨日の私と今日の私は違うし、昨日のあなたと今日のあなたも違う。

 

その時々の組み合わせの中で、私はどういたらバランスが取れるかな、周りの景色も含めて調和できるかな、ってその都度考えてみる。

そうすると、「私はこうしたい」とか、「こうあるべき」みたいな主張が自然と消えていくような気がする。

だって瞬間ごとに、主張を繰り返していたら、いくらなんでも疲れすぎてもたないし。だったら、スッと馴染んで流れて行くほうが気持ちいいんじゃないかな、って思う。

 

マットをイカダに見立て、その上に立ってACO先生が「沈まないようにね」って、マットの端っこや真ん中に立ってアーサナをとっていった。

そこでは「私」という主張は全然重要ではないのだけれど、私もいるから私も含めて全体のバランスを取ろうとする。そんな感じだった。難しかった。意外と私って想像力ないなーって思った。

 

執着を手放そうとか、よく言うけど、じゃあどうやって?ってわからなくて悶々としてる人も多い。

日常に没入すると、あの人さえ言うことを聞いてくれたら、このやり方さえできれば、と自己主張を通したくて我慢できず、怒りが生まれる。

 

そんなときに、テンセグリティーの考え方を取り入れたら、なんかとってもラクになりそうだな、って思った。

「私」は強すぎても弱すぎてもダメってことが感覚的にわかるようになるんじゃないかな。 

そしたら「私はこうしたい」なんて主張は、あまり意味がなくなっちゃうんだろうな。

 

第3部は、先生の静かで優しい、とても聞き取りやすい声のリードが心地よいヴィンヤサだった。 

 

私もあんな気持ちよさを、生徒さんに感じさせられるようになりたいなー。