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 shantiな日々

3年ぶりのインド旅行日記だよ。クアラルンプールにもちょっと行くよ。

いろんなことを経験して人の気持ちがわかるようになる

今まで、あまりにも何の心配もなく生きてきてしまったので、我ながら私ってホントに人の気持ちが分からない薄情者だなー。と常々思っていた。

 

私は昔から人に頼るのが苦手で、何でも自分でやろうとしてきた。

 

すると、大抵のことは自分一人でできてしまうので、ますます人に頼れなくなってしまっていった。

そして誰かが弱気だと「何でそんなことで悩むのか理解できない」という場面も多かった。

 

でも世の中、心が強い人ばかりではない。気弱な人の気持ちを理解するのが必要なときもある。

 

それなのに、頭ではわかっていても私は人の気持ちがわからない。わからないのに、わかったフリはしたくない。じゃあわからないでいいやって思ってた。

 

でも今回、私の心が弱気になることがあったので、それを経験したらなんか、すごく切ないんだなー、ってわかった。

何だか心配で夜眠れないとか、

ソワソワして物事が手につかないとか、

何か見て悲しくなるとか、

ホントに苦しい。

これからは誰かが弱ってるときには私ができることで寄り添っていこうと思う。

 

経験して、人の気持ちが理解できるようになる。

人生全て修行です。

 

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心の作用

あとでがっかりしないように、早く絶望しなきゃと思っている自分がいる。

 

そんな自分に気付いたとき、

「いつでも希望を」っていう言葉がサッと頭をよぎった。

 

なんだ、私ちゃんと希望を持っている。

これでいいんだな、と再確認。

 

心の作用っていうのは、とても巧妙だよね。いつだって自分の予想を超えた働きをしている。

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最近、ちょっと変わったよね。

ヨガ瞑想というヨガの思想を取り入れるクラスをやっていますが、昨日の生徒さんがこんなことを言ってた。

「スピリチュアルな考え方に傾くことがちょっとこわい」

「きっとそれって、最近〇〇さん、ちょっと変わったよね、とか言われるのがこわいんじゃない?」

って返事したら、

「そうかもしれない」だって。

 

私は前に友達たちと話してるとき、ヨガっぽいことを言ったら、

「…本当にそうだったらいいよねー…」って言われたことがあった。

ハッとして、あ、普通の人にこういう事言っちゃいけなかったんだ。って気づいたのでもう言わない。

 

「普通の人」っていう言い方は、まぁ、便宜上ね。

 

私はヨガの思想のおかげで、以前と比べて本当に毎日平和で、心が穏やかで、良く眠れるし、仕事も上手くいくし、周りの人も大事にできて、大事にされるし、ヨガの練習がますます楽しくなるし、とても良かった、ありがとう。って感じだけどね。

もう他人にどう思われてもいいや。って考えられるようにもなってきたから、わざわざ誰かに私はこう思ってます!って仕事以外で話す事もほとんどなくなったし。

あ、でも、うれしいことに、オーナーのみずえ先生と妹は聞いてくれる。

 

どんな思想もその人が自由に、役立つところだけ取り入れたり、こっそり信じたりすればいいんじゃないかと思いますよ。生きる拠り所は、人それぞれ違うもんね。

 

明日には変わっちゃうかもしれないし。

そのとき一番いいと思うことを信じて実行すればいいよね。

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生きることの放棄

健康診断で数値が正常だから健康とか、

レントゲンに何も写ってないから健康とか、健康だけでなくて、なにもかも。

 

外側の情報に自分を任せること。

もうやめた方がいいと思う。

それは生きることの放棄だ。

 

自分に聞けばわかるのに。

わかるまでしつこく聞いていいのに。

 

ヨガは自己の放棄だけれど、

生きることを放棄するわけじゃない。

似ているようで全然違うでしょ。

 

生きることを他人任せにしたら、長生きはできないだろうなぁ…

 

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こんなあたたかい日には、

どうかみんなの心が穏やかでありますように。

 

私は今日もいつも通り、過ごしてるよ。

 

 

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心配はしてもしょうがないよ

心配っていうのは、本当に、してもしょうがない。

 

気持ちはわかるけど。

心配する意味はあまりない。

 

それよりも、今どうやって生きていく?

どうしたい?

それが明日をつくるんだから。

 

どんな未来が来るのか、

それは私の今の生き方にかかっている。

 

もし、大事な人がいなくなるとしたら、それが親だったら、私をこの世に送り出してくれたことに感謝して、精一杯生きます。

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余計な力を抜く

今年に入ってから、アーサナの練習ではなるだけ余計な力を抜くことに気を付けている。

 

自分ではそんなに力を入れていないつもりだったけどある日、呼吸の仕方一つにまで力が入っていることに気がついた。

それからはなにをやっても「なんでこんなに」というくらい、なんだって力一杯やっている自分が目について、うっとおしいのでとにかく力を抜くことに力一杯チャレンジしている。

 

最近では、初めの頃「これだ!」と思ったときの気付きがだいぶ表面的だったのに気づいたりして、練習を継続していても、結局近道なんてないんだなと改めて思います。

私なんて、まだ数年しかやってないから、今こうして書いていることだってまた何年後かには「またわかったふりして」ってことになるだろうし。

 

でも、それでいいんだと思う。

道半ばの人が「今私はこう解釈した」とはっきり言っとくのは大事だ、って修業論って本にかいてあったもの。

 

それで、なんで余計な力を抜かなきゃなんないかっていうと、力を発揮するためには、一か所に集めた方が効率がいいからです。

私は体力があんまりないので、生きてくためには、無駄な力を使っている余裕がないってこと。

 

最小の力で最大の効果を。

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歳をとると本当に眠れないのか。

歳をとると本当に眠れないのか。

 

うちのお父さんは、仕事を65歳で引退した途端よく眠れるようになった、と喜んでいる。

 

これを知って、眠れないのは全部が老化のせいではない。と思った。

 

確かにアーユルヴェーダでも、歳をとるとサットヴァが増えて睡眠時間が減る傾向にあるとはいうけれど。

 

睡眠だけでなく、いろんな不調をただ老化のせいにしないで、まずは神経系に溜まってるストレスを一度取り除いてフラットになったところで判断した方がいいと思う。

 

なんでも。

基準がズレてると全部ズレちゃうから。 

末端に向かうほどズレは大きくなる。

 

人生でそれが起こったら、もうなにがなんだかわからなくなる。

 

ヨガって、そういうのをもとに戻そうとする作用がある。

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