su-haku

ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

キケンを察知!

今、ただ今、体長10センチ以上はあるム○デが出た。

私の部屋に。ブルブル。

 

ベッドに座ってふと目をやると、目の前に黒い影が見えた。

 

何年かに一度、こういうことがある。

 

私って、なんで気付いちゃうんだろ、ってくらいものすごく気づく。

 

ああ、眠る前に気付いてよかった。

 

気付かせてくれた何か、

ありがとうございます。

 

もう、冬のスリッパはもぐりこまれたらキケンなので、明日夏用の先っぽが開いてるヤツを買ってこよう。

と、決めたところ。

 

もういないよね〜?おやすみ。

 

広告を非表示にする

時間の使い方

何にどれだけ時間を使うかはその人の選択だから、他人のことをあれこれいう必要はないけど、

 

少なくとも私は、

他人が時間を作ってここまで来てくれているのだから、

それを台無しにするような時間の使い方はしないように気をつけたいと、思う。

 

何時間過ごすかより、

その一瞬をどう過ごすか、

 

聞いてるだけなら耳触りのいい言葉だけど、

 

実際やるとなると、とても繊細な意識が必要だ。

広告を非表示にする

きれいな水を飲む

飲料水を買う人が多いのは知ってたけど、

先週、自分の予想よりはるかに多かったのを知りびっくりした。

8人中6人が買っていた。

 

それが理由ではないのだけれど、

ちょっと思うところあって、私もミネラルウォーターを買うことにした。

 

一週間経って更に驚いたのは、

私って、思ってたより随分多く水分を取っていたということ。

 

1日2リットルなんて、多すぎ〜。

と、ずっと思っていたけど、

 

朝だけで1リットル近く飲んでいる…。

昼も500ミリ以上飲んでる。

 

それはお味噌汁やコーヒーも合わせてなんだけど。

 

…通りでお腹がチャポチャポするわけだ。

 

予想外のことに気付いて、

夕方になると未だに足がむくむのもなんか、納得。

広告を非表示にする

0を1にするのはそんなに大事か

数秘術で、私の軌道数は1だ。

1は、自立とか、イニシアティヴとか、0から1を生み出すとか、男性性とか、そんな意味らしい。

 

他の人は他の人で、軌道数は1〜9まであるわけだから、人生のテーマもそれぞれある。

 

最近、「0から1を生み出すのが大事だ」とかいうアイデアを語る人を何人か見かけるのだけれど、

 

私は、そうした方が上手くいく人もいるし、そうしなくてもいい人もいる。と思う。

 

例えば、流れとともにある軌道数2の人に軌道数1の人のテーマをやらせて、果たして上手くいくだろうか。

もちろん数秘術が絶対じゃないんだけど、例えば、ね。

 

全員に押し付ける必要はない。

 

学校教育も、1〜9の人がそれぞれ生きやすいように、教育を分けたら面白いのに。(そんなの絶対ならないけど。)

 

みんないろいろ見て、いろんな意見を持ってるよね。

 

昨日カフェで、近くにいた男性が、星座別の性格診断みたいな話をしていた。

 

その人は魚座らしく、「魚座は、金とか電子は全然ダメなんだよ。感覚が大事でねー。」と言っていた。私も魚座なので、耳をそばだてて聞いていたのだけれど、「うぉー!当たってる」と思った。

 

そうか、私だけじゃなかったか。金とか電子に弱いのは。

 

そんなわけで、いろんなタイプの人がいるわけだから、ある人にとってはフィットしても、別の人には全然合わない。っていうのは、極フツーのことだ。

 

何が大事かなんて、相対的なものだから。明日には変わってるかもしれないものだし。

 

しかし、

そもそも0を1にするって、

何が0で何が1なのか、あたしにはさっぱりわからない。

 

 

 

広告を非表示にする

根本的な混乱

前の記事で、

私は本質を求める場所を間違っていた、

と書いたけど、

 

この根本的な間違いが、

日常の小さな混乱を生み出していたことに気づいた。

 

1+1=2のところ、

1+1=3だと思い込んでいたら、

あとの全ての計算がズレていくのと同じように。

 

自分以外のことを、おかしい、あの人のせいだ、あの人が悪い、とか、

私は間違ってない、私は悪くない、

 

と思うなら、

 

思ってないと思っても、

そういう言動をするなら、

 

それは、あなたが悪いんじゃなくて、

思い込みの根本が間違っている可能性が高い。

 

今わかるのはここまで、

 

広告を非表示にする

ヨガの限界

私は、

 

一体ヨガに何を求めているのだろう、

 

と思うようになっていた。

 

ヴェーダンタを学び始めて、本質はヴェーダンタによってしか知ることができないと知り、

 

私はそこで初めて、

今までヨガに「本当の自分」を求めていたんだと気づいた。

 

ヨガを続けていたら、

いつか本当の自分に出会えて、

本当の自分を体験できると思っていた。

 

瞑想の練習だって、そのためにしていた。

 

でも、全然その兆しが見えない。

なんかおかしいぞ、って思い始めていたところだった。

 

どおりで矛盾するはずだ。

私は、本質を求めても仕方ないものに求めていたわけだから。

 

そんな時ヴェーダンタを学ぶ機会に恵まれた。

 

ヴェーダンタによってしか本質を知ることができないというのは、

おそらく本当だろうな、と思う。

明確で、商売っ気がないから。

 

話は戻るけど、この半年ほど、ヨガの練習をしても、これをやり続けて何を得るのだろうか。と時々疑問に思うようになっていた。

 

整ったボディラインや、しなやかな筋肉、健康な肉体…

 

そういうのって、中年女性にとってはとても魅力的で、私も「いいねー」って思う。

 

でも、

何年ヨガやってます、

ポーズキレイにとれます、

若く見られます、

 

っていう自己満足が、

一体なんの役にたつんだろう…ってモヤモヤしてきてたまらなかった。

 

だから、ヨガによって本質は得られない。とわかって、正直ホッとした。

 

ヨガとは別に、ヴェーダンタという知る手段を得ることもできたし、

ヨガでできることの限界もわかった。

 

私は、本質だけを求めてヨガを続けていたわけじゃなく、

心身のコンディションを整えたり、ただ気持ちいいと思ってやっていたりもするので、ヨガはこれからも続けたい。

 

おかげで、ヨガに対して曖昧な態度をとらなくてよくなったし、

 

生徒さんに教えられることはここまで。

っていうのもはっきりした。

 

 

ヨガによって本質を知ることはできなくても、

ヨガは心の成長を促す要素が非常に大きい分野だから、私が目指したいものにフィットしてるっていうのもありがたい。

このまま続けていけるもの。

 

これからは、本質を求めるために必要な心の準備を助けてくれるように、ヨガを役立てられると思う。

 

私はヨガを通して、私に関わる人たちの心の成長があったらいいなと思っているから。

 

ヨガの限界は、

相対的な世界の中でしか通用しないということ。

 

でも、相対的な世界は私たちの心の成長を助けてくれるためにある。

 

本質的な世界と相対的な世界。

 

これをごっちゃにしてはいけない、と先生はおっしゃった。

 

ここさえ明確に区別できたら、

きっと、本当に混乱しなくなってくるよね。

 

広告を非表示にする

ふんわりとした覆いでごまかさない

今の時代、いろいろ自由になったよね、

と思っていた。

 

性別の曖昧さ、

学び方、働き方の多様化、

異文化交流、

グローバルな社会…

生き方がたくさんあって、なんでもOKになっている。

 

私は、それ自体悪いことではないと思うけど、

 

これは多様性の尊重ではなく、

無秩序の拡大のように思える。

 

本当にそれで人間って幸せになれるのかな。

 

「相手を尊重する」とか「多様性を受け入れる」って、ホントにこういうことなのかな、って疑問に思う。

 

なんとなく、

「他は知らないけど自分だけは安心していたい」

という動機で、みんなそれぞれ好き勝手やってるだけのような気がする。

 

私は社会問題に詳しくないし、そこに積極的に関わるつもりもないけど、

 

自分がすることは、

「人間の幸せに貢献できること」

でありたい。

 

この半年の勉強で、そう思うようになった。

 

だからこそ、物事を見極める力が必要になる。

ふんわりとした覆いでごまかすことなく、しっかり見極めたい。

 

それを助けてくれるヴェーダンタと先生に心からの感謝と、

今日も私たちの心に成長がありますように、祈りをこめて。

 

 

広告を非表示にする