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ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

アウトプット

すっごく悔しい目に遭って、目が覚める…

ということが、時々ある。

 

 

お風呂に入っていたとき、思ったこと。

 

時々、

ちょっとしたことを教えてくれない人がいる。

話の流れで、仕事何してるの?とか、今何歳?とか。

 

言いたくないことを無理矢理聞こうとは思わないけれど、

 

スパイとか年齢詐称のアイドルでもないなら隠すほどのことかしら?と思うことがある。

 

その割に人のことはいろいろ聞いてきたりするものだから、

余計に「なんなのだろう」と思ってしまう。

 

そんな経験を何度かしてさっきふと思ったのは、

 

情報と食べ物はよく似てるな、ということ。

 

食べたら消化して代謝、排泄する。

 

情報も同じで、

入れたらよく考えて、理解し、出す。

 

出す、というのは、行動に移したり、誰かに伝えたりすることだと思う。

 

もし、食べたのに「出したくない」といって、(無理だけど)ずっと体に溜めていたとしたら、臭くなる。腐る。

 

情報も同じで、ずっと自分の内側に溜めていると、モヤモヤしてきて心の中が散らかってくる。

 

もったいないから教えたくない、とかいう人もいるみたいだけど、

どうせ必要な人にはどこかからその情報は伝わるし、

逆に、せっかく教えてあげていても全然聞いてない人もいたりするので、

出し渋る意味はあまりないと思う。

 

出し惜しみすること自体がナンセンスだと私は思う。

私だったら、すすんで教えて相手からぜひ感謝をいただきたいものだ。

 

 

アウトプットはうんこと同じだ。

情報を自分がどう処理したのかわかる「便り」だ。

 

誰かに話しながら、

「私ってこんな風に思ってたんだ」とか、

「あ、こういうことだったのか!」などと気付いたりすることはないだろうか。

 

「便」をチェックするのは大事なこと。

自分の健康状態がわかる。

 

鉄矢のラジオで、

子供がなつくのは内臓がきれいな人らしい、なんてことを言っていた。

なんかわかる、と思った。

 

ちゃんと消化して出してる人は、

周りの人も気持ちよく感じるんだよね。

臭くないし。

 

アウトプット、

 

できないとか苦手とかじゃなく、

うんこと同じで出さなきゃヤバい、ってこと。

信頼

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高萩市古民家カフェHANAにて。

もみじの紅葉が美しい。

 

今年は、初めて外部講座を単独で担当させていただいた。

 

中学校と公民館…。

 

正直、今まで私には縁のない場所だと思っていた。

 

依頼を受けてから、

どちらの講座も今の自分ができることを背伸びせずにやろうと決め、

淡淡と、粛粛と、行った。

 

思っていたほど緊張もせず、

伝えたいことに集中できたのは、

 

やはり、背伸びをしなかったからだろうかと思ったりもする。

 

 

この前、ヨガの先生もおっしゃっていた。

 

活躍する舞台がほしくて自分のアピールを必死にするより、

ここにじっとしていることの方が大事だったりするでしょう?

 

 

私は自分をアピールするのが苦手だからじっとしているより他ないので、わかったような、わからないような気分だったけど、

 

でも、じっとしている間も、ただぼーっとしていればいいというものでもない。

 

「信頼」を積み上げることが必要なのだ。

 

それは、とてもシンプル。

 

自分ができる最大限のことを、いつも精一杯やることなのだと思う。

 

 

誰かが見てるから頑張るとか、何かしてもらいたいから頑張るとかではなく、

 

 

与えられた場所を大切に丁寧に掃除したり、

来てくれた生徒さんによく意識を向けること、

より良いレッスンができるように自分の練習もよくすること、

 

地味で、成果がわかりにくくて、「いいね」はもらえない、そんなこと。

 

 

私にそれらの仕事を紹介してくれたのは、生徒さんと、元生徒さんだった。

私を間近で見ていてくれていた人たちだった。

 

私という人間を信頼して公共の場に紹介してくれたことがものすごく嬉しかった。

 

私がずっとほしかったもの、

憧れていたのは、

他でもない「信頼」だった。

 

これからもがんばるんだ、とジーンと胸を熱くしながら思ってるところ。

 

そうそう、今日の街頭選挙演説にもジーンときた。

選挙はアピールが必要だね。

そういう世界だから。

とても大切なこと

何年か前、

ヨガの先生がこんなことをおっしゃっていた。

「できる人は1本1本の指先まで意識を向けてエネルギーを循環させられる」

 

その時私は「そんなの仙人」くらいにしか思わなかったのだけれど、

 

 

それができる人は意外と多くいるんじゃないだろうか。

意識を向けて練習していたら、いつかはできるんじゃないか。

 

今はそんな風に思う。

 

 

練習を重ねていくうちに、

それって、大変なことができなきゃいけないわけじゃなくて、

実は、すごくちょっとしたことが百も千も寄り集まった結果なのだということがだんだんわかってきた。

 

どれだけ同時に正しく連動できるか、

ということなのだ。

 

 

ただ、連動させる前に体にも心にも準備がある。

準備ができるまでに何十年もかかるかもしれない。

 

そこを乗り越えられるかどうかなのだと思う。

 

 

理解するだけでも何年もかかっているのに、心身の準備ができるのにも更に何年もかかるなんて、気が遠くなりそうだけど、

 

私はできなくても別にいい、とも思ってる。

 

できるようになればそれは嬉しいだろうけど、

 

"できるようになるまで"も結構楽しいなぁ、とも思う。

 

考え方が、知らないうちに変わっていたこともまた、おもしろいなぁ…と思うし。

 

それから、自分の体の思い通りに動かない場所を、「ダメ」と思わなくなっていたことも。

 

とても大切なことができるようになってもんだ、と自画自賛

肛門のすごさ

鉄矢のラジオで、

「肛門は、個体と気体を区別できる」

と言っていたのに大変感心した。

 

小さい頃から(時々間違えることもあるけど)自然にやっていたことだけど、

 

ものすごいことだと思う。

 

すごいよね!私たちの肛門!

武士の精神のこと

今朝の三枚おろしのバックナンバーを聴きながら思ったこと。

 

武士道、サムライ、などは、日本の伝統的な思想、文化として今でもその価値を現代の日本人に認められている。

 

でも、

武士の生き方、価値観、優先順位は、

武士として生きて初めてハマるものであって、

 

それを現代人に当てはめようとするのは、だいぶ無理があるのではなかろうか。

 

 

私は武士じゃないけど、

昔の日本人だって全員が武士というわけではなかった。

 

貴族も、商人も、職人も、農民も、

今の世と同じように、色んな役割の人がいた。

それぞれの職業にルールや理念があった。

 

 

私は、今は、なんだろ…先生か。

 

先生だから、武士みたいに振る舞わなくていい。というか、武士の精神は別に必要無いと思う。

 

政治家も武士ではない。

スポーツ選手も武士ではない。

 

 

武士は当時の社会では、

それが目的でなかったとしても、

「戦う、人を殺す」という重い役割を背負った職業だったのだ。

 

そんな張り詰めた精神を、

簡単に真似したりなどできるはずがないと、私は思う。

 

武士のことはよくわからない、と思いつつも、

そんな重荷を背負って過去の日本を支えた彼らに尊敬の念を表す。

高潔

武田鉄矢のラジオより、

 

司馬遼太郎は「翔ぶが如く」のどこかに、

 

大衆は生真面目な明晰者を好まない。

明晰よりも温情を愛し、

拒否よりも陽気で豊満な大きさを好み、

正論よりも思想に憧れる。

更に大衆の厄介さは、

明晰、拒否、正論をやがては悪として見ることである。

 

と書いているそうだ。

 

 

全く、その通りだと思う。

 

私の観点からこれを言い換えると、

これらは、事実を直視しないための大衆の言い訳だ。

 

 

大衆は事実を直視しない。

 

事実を見る人は、

ただ事実を事実として捉えるが、

 

大衆は、事実を判断する。

善悪や好き嫌いで。

 

そして、明晰な人を非難し始める。

「温情」という感情の一種に訴えて。

もちろん、それが正義だと信じて。

 

 

事実を事実としてのみ見る人は、

高い客観性のもとで、

自分の感情に巻き込まれず、

全体にとって最適な選択をする。

 

 

感情に訴える大衆が、

果たしてそれを理解できるだろうか。

 

いつの世にも、

客観性の高い人はごく少数だ。

 

彼らは、

そういうバランスで世界が成り立っていることも知っている。

 

誰に何と思われようと仕方のないことも、すでに承知しているのだ。

 

 

なんて高潔なんだろうと、

私は世間から恨まれがちな彼らに尊敬の念を抱いている。

 

 

 

瞑想の実態

一般的に「瞑想」と呼ばれる、

あの行為について、

 

私は最近、

こうではないか、と思っていることがある。

 

ある条件が整ったときに、

身体から分泌される何かしらのホルモンによって、

高揚感や爽快感、安心感や静穏を感じる。

または思い込みによって、幻覚、幻聴等が現れる。

 

それらを、神秘化しているだけ。

 

なんじゃないかなぁ…。

 

だから、

ホルモンの作用で心が整うのであれば、人生に大いに役立つとは思うけど、

 

問題は、そのあと。

 

キラキラしたものが見えるとか、

大いなる存在と繋がる感じとか、

無限の自分になるとか、

神が…とか。。。

 

ここらへんはちょっと慎重になるべきだと思う。

 

過度に神秘化するのは。