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ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

小道具をやめてみる

私はヨガを教えているのだけれど、

 

レッスンの中でふと、なんでこれやってんだろ…と思うことがある。

 

例えば、

「オームを3回唱えて終わりにします。」

 

別にやってもいいんだけど、

気持ちいい音だし、落ち着くし。

でも、はっきりいって、私はそれ以上の意味を生徒さんに伝えられない。

 

なんでそのタイミングで、3回唱えるのかもよくわからない。

 

だから、カタチだけやってもなぁ…と思って、やめてみた。

 

いまは、私の心の中でそっと唱えている。

 

私は何かとても大事な音だという気がするけど、他の人にとってはどうだかわからないから。

 

それから、最後のシャバアーサナの後にティンシャを鳴らすのも、いい音だけど、なんでやるのかわからないのでやめてみた。

 

別にやってもいいんだけどね。

今はわかんないから。なんでそれを鳴らさないといけないのか。

 

あと、最後の挨拶で、

ありがとうございましたを言った後、

いつも口グセで「お疲れさまでした」ってつい言ってしまうんだけど、それもやめた。

 

疲れてない人もいるし。

 

ちょっとした言葉や道具を、

 

「それっぽいから」という理由で使うのをやめてみた、

 

という話です。

 

 

 

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反応のパターン

他人に自分の弱点を指摘されたとき、

「そーなんですよー。」って、

笑顔で返す人がいる。

 

私は、絶対そんな反応できないから、

それが不思議で仕方なかったけど、

 

もしかしたらその人にとっては、

「傷つきました」って相手に伝えてはいけない、と思ったときの「反応のパターン」だったのかもしれない、と思った。

 

それは一見、

大人な対応で、思いやりもあって優しそうだけど、

 

私は、その反応パターンは正直、素直じゃないなと思う。

 

「相手を傷つけないように」っていう理由をつけて、自分にウソをついている。

 

と同時に、知らないうちに相手のせいにしている。(←こっちが重要)

 

もちろん、本人は認識してないけど。

 

じゃあ、どうすればいいのかって、

 

「傷ついた」って反応の仕方もいろいろあるけど、

「傷ついたんだけど、どーしてくれんのよ」みたいな激しいやつはやめておきたい。

あと、黙り込んでしまうのもやめときたい。

 

相手を責めなくても、自分に素直になる方法はちゃんとあると思うんだよね。

 

それを考えることが、成長だと思う。

 

 

で、どうやったら「成長できない反応パターン」を克服できるかなぁ…と考えてみた。

 

そしたら、黒澤全のメルマガに書いてあった素晴らしい方法を思い出した。

 

それは、「機嫌よくいること」。

 

成長できない反応をするときって、

心のちょっと深いところで必ずイラっとしてたり、ムカっとしてたりする。

 

ホントの意味で機嫌よくいるというのは、顔だけニコニコしてるのとは違って、

 

たとえば、

「あなたを理解したい」という態度が近い気がする。

あとは「怒らないから大丈夫、話して」というのも近い感じがする。

 

まとめてしまえば、

誰かとコミュニケーションをとるとき、

「お互い成長しよう」という、言葉を超えた繋がりをその場その場で誰とでも持てれば、

そもそも傷つきもしないっていう話なんだけど、

 

いきなりやってもうまくいかないと思うので、ステップを考えてみた。

 

1.まずは自分が反応のパターンに翻弄されてることに気がつく。

2.より肯定的な反応のパターンと入れ替える。

3.機嫌のよい時間が増えてきたら、反応するのをやめて、

誰かとコミュニケーションをとるときは、お互いの成長を意識する。

 

と、面倒でもひとつずつ丁寧に身につけていくのが一番近道でもあるなぁ…とこの頃は思う。

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新しいスタートとさびしさ

今日、私のとっても大切な人が新しいスタートを切った。

 

二階の窓から、去っていく車を見送っていたら、

 

これは私にとっても新しいスタートだなー。

 

と、新鮮さを感じる一方で、

 

ああ、やっぱりちょっとさみしいなぁ…。

 

という思いがあるのを発見。

 

でも、そうか。

 

新しいスタートって、

 

そうだった。

 

なにかが終わったり、なくなったり、いなくなってこそ、スタートなんだな。

 

って思い出した。

 

 

新しいものをただ次々に足すんじゃなくて、

 

始まる前に、もういらなくなった何かを捨てなきゃならない。

 

 

慣れ親しんだ人や場所と離れることになることもあるから、

そんなときは、やっぱり誰でも少しはさみしいよね。

 

でも、少し経つとまた楽しくなってくるし、元気にもなるから大丈夫。

 

同時に、ちょっとした「清々しさ」ってのもあったりしてね。

 

一人暮らしを始めた日、

家に帰っていくお父さんとお母さんの車を見送った時のことを思い出してしまった。

 

うん。

でも、

だから人生って、ホントおもしろい。

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卒業アルバムのこと

卒業アルバムをずっと捨てたいと思っていた。

 

全然見ないし。

 

でも親が買ったものだし、勝手に捨てるのは悪いし、と思って、

ずっとまとめて押し入れに押し込んでいた。

捨てたいと言って、そんなことで親と揉めるのもイヤだし。

 

少し悩んで、妹に相談した。

 

結婚した妹は、自分の卒業アルバムを「どうしたかまったくおぼえていない」という。

 

私が捨てたいというと、「捨ててあげるから持ってきなよ」となぜか嬉しそうに言う。

 

「じゃあ、持ってくるから。」といって帰宅後、押し入れを開けたら、

私のと一緒に、妹の卒業アルバムも小・中・高と、丸ごと出てきた。

 

とりあえず、私は高校のだけはとっておいて、ほかは全部捨てることにした。

 

小学校のは自分で手作りしたので、クオリティが低すぎてひどい。

なんでもっと早く捨てなかったのか、ナゾ。

 

一応低学年の時の写真を何枚か抜いて、(手作りなので写真が抜き出せる良さもあり。)家のアルバムにはさんでおいた。

 

他のは見ないで捨てることにした。

小学校のアルバムを開いたとき、嫌いだった先生が写っていて嫌なことを思い出したから、これ以上不必要にいろいろ思い出すのはやめようと思って。

 

その後、妹に「あんたのアルバムあったよ、全部」と連絡したら、

「くろれきし!」といって、確実に捨てるという。

 

そんなわけで、じつは私より捨てたかった妹主導で、

私たちの卒業アルバムは安全に焼却場へ運ばれました。

 

担当のおじさんも「資源物でリサイクルされても嫌だろうからもやしちゃえ」と気を利かせて、

燃えるゴミの場所を案内してくれた。

 

あの様子では、ほかにも捨てる人いっぱいいるんだろうな…

 

なんて思いながら。

 

卒業アルバムって、いったいなんなんだろう…

 

そのあと妹と「写真」の話になって、

 

私が「2年生までだよね、かわいいのは」というと、

妹は「幼稚園までだよ」とさらに厳しく線を引いた。

 

ホント、写真もね。

 

私は、姪っ子たちが赤ちゃんのときのを見ると、

すごく癒されるので、それだけとっておく。

 

後はいいです。もう。

 

思い出よ、さようなら。

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みんなを幸せにするには…

昨日、4年生の始業式だった姪は、

今年も仲良しのあーちゃんと同じクラスになってうれしそう。

 

姪に、

「4年生の目標ってなにかある?」

って聞いてみたら、

 

「みんなを幸せにしたい!」

 

っていう、なんていうか、

壮大な目標だった…。

 

「へー。じゃあ、みんなを幸せにしたいときは、まずどうするの?」

 

って聞いてみたら、

 

即答で、

 

「まず私が幸せになって、それをみんなに分けるの」

 

っていう、パーフェクトな返答をする。

 

 

…なんか、参りました。って感じ。

 

そんなこと誰に教えてもらったの?って聞いても、

もとから知っている、みたいな返事をしてくる。

 

私が30代前半のとき、友人が「まずは自分がちゃんと幸せになるわ」って言ってたっけな…。ってのを思い出して、

 

私らなんて30年生きてやっと気付いたんだゼ。というつぶやきが止まらない。

 

この子たちがこのまま大きくなってくれたら、

ちょっとステキな世の中になるなぁ…って、うれしくなった。

 

私は、

それを邪魔しないように見守りたいなぁ。

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知らないところで

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私がネットで買ったしょーもないバッグは、

 

こうして夜も寝ないで働く誰かの手によって、

 

あっという間に届けられる。

 

たった500円かそこらの送料で、

 

パープル色のキラキラのバッグは、

 

私のもとへくる。

 

私の知らないところで、

 

誰かが一生懸命働いて、

 

私にバッグを届けてくれる。

 

ありがとうございます。

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素直に生きたいと思う。

自分の弱さとか子供っぽさとかを、

隠さずに素直に生きたいと思う。

 

わざわざ人に迷惑をかけたり、

気分を害したりしたくはないけど、

 

こういうことが苦手だとか、

できないんだとか、

まだ受け入れられない、

ってことを隠さないで生きたい。

 

そういうことは言わない方がいいんじゃない?とか、

評判を落とすよとか、

自分のためにならないよとか、

 

思われたりもするだろうけど、

 

自分を表現することで他人からの評価を気にしないでいたい。

 

だって私は子供っぽいところも、

できないことも、

受け入れられないこともいっぱいあるんだから。

 

できることもできないことも、

いっぱいある。

 

それはそれでいいと思う。

 

私が話すのを聞いて、

同じようなことでつまづいてる人が、

 

ああ、大人でもそうなんだナ。

私も大丈夫だ。

 

と思って、前に進む力になったりするかもしれないから。

 

さっき雑誌に、

好き嫌いの話するのは精神年齢が低いと書いてあったけど、

 

誰かに話さなくても、心の中で思ってたら、同じじゃん。

と、私は思う。

 

言葉にして、ダイレクトに相手を不快にさせるよりはマシかもしれないけど、

 

目指すは「そんなことを考えもしない心」だ。

 

だから、それができないうちは、

できないんだよねー。って、ヘラっとしていてもいいじゃん。

 

そこ、背伸びして隠しても成長できないからねぇ。

 

ただ、成長する気が全くなくて、開き直っているんだったら、喋らない方がいいのかもしれない。

 

答えは一つじゃないよね。

 

 

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