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ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

すぐ忘れるトレーニング

最近、イラッとしたり、カチンとくることがたくさんあるので、

すぐ忘れるトレーニングをしている。

 

そんなことに感情を振り回されてたまるか。という勢いで、すぐ忘れるようにしている。

 

私の関心はそんなところにはないのだ。という勢いで、ラッキーだったことに感謝するようにしている。

 

 

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最優先は信頼

前の2つのまとめ。

 

周りからの信頼があれば、本当になんとかなる。

 

私は、不真面目だった生き方を変えて、

実家に戻り、地元で生きていくことになり、どうしたら気持ちよく生きられるのか考えてみたことがある。

 

で、それはやっぱり信頼関係だと思った。

今でもそれが一番大事だと思っている。

 

信頼関係を築くために一番大切だと思うのは、「私はこういう人間です」というのを隠さないことだと思う。

 

なんか、選挙とかで自分を作り込んでみんなに好かれるように自己アピールするのとは違って、

 

もっとシンプルに、

何か聞かれたときに、はぐらかさないとか、

ウソを言わないとか、そういうことなんだけど。

 

私はよく「生徒さん何人くらいいるんですか?」と聞かれることがあるんだけど、

前からそれがとても嫌だったし、困っていた。

だって、人数なんて常に変動しているものだし、人数によってうちのスタジオを評価されるのがイヤだし、月謝を公表してるから人数をかけたら売上を公開することになるし、

そもそも、人数を聞いてその人のなんの役に立つのかを考えたとき、ただのウワサのネタ(タネ?違いがよくわからない)じゃないか。と思ってしまうので、そんな材料提供したくない。

 

でも私は、はぐらかすのは好きじゃないので、よーく考えて、

「人数は公表してません」と言うことにした。

 

そんな感じ。

 

あとは見栄を張らないこと。

見栄を張ると余計なことをたくさんする羽目になり、肝心なことが置き去りになりやすい、というか、なる。

 

だから私は、見栄っ張りの人と話していると、話の肝心な部分がうやむやになって、いつも「らちがあかない」と感じる。

はぐらかす、というのも見栄っ張りが根底にあるのかな…

 

そして、どんな人と信頼関係を結んでいくかも大事だ。

 

人を差別しないことは大切かもしれないけど、平気で裏切ったり、誠実さや信頼に関心がない人と信頼関係を築こうとする努力は、本当に意味があるのかどうかを考えてみるのもいいかもしれない。

 

 

助けてもらうために信頼を築くわけじゃない。

 

自分が成長するために必要不可欠なカギの一つが信頼だ。

そのあとで、お互い助け合う喜びを得て、更なる成長を遂げていく。

 

そんなヴィジョンを持って信頼を構築できたら、人生で困ることはあんまりないような気がするんだよね。

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宇宙のルール

さっきの続き。

 

無理やりネジ曲げて、歪めて、

「これでいいの!」と言い聞かせても、

宇宙のルールには逆らえない。

 

自分がどう思うかは、関係ない。

 

宇宙のルールに沿っているかどうかが問題なのだ。

 

私たちが勝手に「誠実」とか「不誠実」とか呼んでいるだけで、

宇宙の中では「こういう条件の下では、こんな風になるよ」というルールが働いているだけなのだ。

 

ルールを守れば、宇宙にも守られるし、

 

ルールを無視すれば「この世の不幸」と私たちが勝手に呼んでいるものに見舞われる。

 

自分次第なのに、

いくらでも「うまくいく」のに、

ルールを守るだけなのに、

 

それが一番難しいという人もいるのだ。

 

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不誠実さ

もし、

 

自分がもうずっと当たり前にやっている、

それが正しいと思っていて、

それこそが礼儀正しいことで、

1ミリも疑ってない行動が、

 

実はすごく不誠実だとしたら、

大変なことだ。

 

「こういうときはこうする」という世間の常識を真面目に遂行しているのに、

なんでうまくいかないの?

と思っていたら、その可能性がある。

 

一つ一つの思考、言葉、行動が、

信頼を失う方向へ向かっているというのに、本人は知る由もない。

これでいいと、完璧に思い込んでいる。

 

周りで起こる全てのことはサインで、

軌道修正のポイントをいつも示しているのに、気がつかない。

 

現実は、さかさまの世界だ。

 

 

 

 

 

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竹シーツ

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体温高めの私。

 

布団が暑くて毎晩寝苦しく、マットレスと敷きパッドの間に保冷剤を仕込んだらどうか…などと考えていたのだけど、

 

さっき、ハッとした。

何年も前に買った竹シーツがあったはず!

 

私がもう捨てるといったものをお母さんが捨てずに取っておいてくれた。

 

お風呂場で洗って干しておく。

 

今日はお父さんの軽トラで、ゴミセンターにいろいろいらないものを持ち込んだ。

 

帰ってきたら乾いてたので、早速ラグの上にしいて「つれづれ」を読んでみた。

 

とっても気持ちいい。

 

体温がスーッと吸収されるみたい。

 

竹シーツは、少し離れるとすぐにまた冷たくなってくれるので、体勢を変えるたび気持ちいい。

 

意外と痛くないんだよね。

 

クーラーがない人におすすめ。

足裏が火照る人も。

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祈り

やっぱり人は、

その人ごとに今回の人生で成し遂げようとしていることが違うんだと思う。

 

だから、

比べても仕方ないし、

比べたところで答えも出ない。

 

私は、まだ自分を信頼できなくて、

多分このままで大丈夫だと、なんとなくはわかってるんだけど、

 

いつも心のどこかで「これでいいの?これでいいの?」と疑っている。

 

でも、少しずつ、その声は小さくなってきているなぁ、というのもわかる。

 

いつの日か、

自分自身を完全に信頼できる日が来るように、バガヴァーンに祈ろうと思う。

 

祈りは、

自分でコントロールできないことがあると受け入れて初めて、

やってみようと思えるのかもしれない。

 

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夏は銀色夏生

六花亭の紙袋でブックカバーを作ってみた。

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夏になると、

銀色夏生の「つれづれノート」が読みたくなる。

最新刊を買おうと思ったら、

3冊前から読んでなかったので、

迷ったけど、まとめて買うことにした。

 

今年の夏は家にいることが多そうだから、

部屋でゆっくり扇風機の風に当たりながら読み進めたい。

 

この前、生徒さんの前で「もう本は買わないで、タリーズに持ち込んで読んで終わりにする」と言ったばかりだけど、

 

実は、ゆっくりカフェで本を読んでると他のやることができなくなってしまうことに気付いた。

あとは、わざわざカフェまで行かなきゃならないことや、

本を読みたいとき必ず何か飲みたいわけでもないということにも。

…まあいいや。

 

19歳の夏、

初めてつれづれノートを読んでから20年も経ってしまった。

 

私が今のような暮らしをしているのは、

彼女の影響が大きい。

 

いろんなことを自分のペースでできる生活っていいなと思った。

 

夕暮れ時に散歩したり、

近所のおじさんやおばさんとちょっと話したり、

季節の花や虫を見つけたり、

アレもコレもと欲張らないで、

暮らしの中にささやかな幸せを感じる日々。

 

満たされる、

ってもうすでに身の回りにあるものでできると、私は最初からわかってた。

 

でもこの生活をするために、

それを思い出すために、

長い間、がんばってたくさんのものを得ようとしてきたような気もする。

 

 

 

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