su-haku

ヨガと、私が考えてること。何年かに一度インドに行きたくなります。

願望達成とか、現実創造とか

現実は自分が創り出しているとか、

初めて聞いた時びっくりして、

 

じゃあ、願いごともなんだって叶えられるんだと、

 

引き寄せとか、願望達成とか、夢中で本を読んだり、人の話を聞いたりしてた。

 

でも今は、それが

「どこまでいっても自分のため」

で行き詰まる虚しさに変わってしまった。

 

 

欲求を満たすことは悪いことではない。

 

でも、起こったらいいなと思うことばかりを集め、起こらないでほしいと思うことは遠ざける人生は、

 

自己成長の可能性を自ら狭めているように思える。

 

自分の願望を達成するというのは、

いってしまえば単に自分の人生をコントロールしようとしているだけで、

自由なんかではないことに気付いた。

 

「良いこと」と思っていることが本当に良いことなのか、

「ネガティヴ」と思っていることは本当にネガティブなのか、

 

それは、自分で囲った小さな世界しか知らない「私」が、自分の安全や安心のために勝手に作ったルールでしかないように思えて、

 

なんだか「願望達成なんてくだらない」と思うようになった。

 

 

でも、ひと通り満たしたらいいと思う。

「だってまだ欲しい」と思うなら。

 

私は、達成したいことがそんなに大したことではなかったみたいなので、少しやったらわかったけど、

 

世界的な有名人になりたいとか、

指折りの大金持ちになりたいとか、

そんな人はちょっと時間もかかるだろうけど…、

 

「どこまでいっても自分のためか…」

 

そう思えるまでは、欲求という膨大なエネルギーを使って世界を動かしたらいいと思う。

それも大事なプロセスで、私もその恩恵を受けてるわけだから、感謝もしてる。

 

本当に、叶えたいと思うことは、叶うので。

 

ただ、その先にもさらに平穏で豊かな人生が待ってる。

 

成長

私が知りたいことをどこで学べばよいのかわからなかったときは、

とにかく、いろーんなものを買っていた。「投資」だと言い聞かせて。

 

大量の本や、ワークショップなどのサービス、それらで得られなかったときの無意識の不満解消…。服を買ったり、どこか行ったり。

 

まず自分の欲しいものがわからないのだから、手当たり次第買い漁るしかない。

あれもこれも、経験、体験、と。

理解できないときはスピリチュアルに逃げたりして。またそこでもセミナーなんかに行ったりして。

 

 

今はもう、そういうの一切合切いらない。

 

本は楽しみのためにたまに買うだけ。

 

ワークショップも行かない。

たまには東京、行こうかな…と思ってみても用事がない。

 

また、インド行きたい…?と自分に聞いてみても、「行くときは嫌でも行くんじゃないの」と思うだけ。

 

日常の、いつものスケジュールの中に組み込めるものだけで、私は十分に足りているのだと思う。心も、実際にも。

 

 

最近は、日々の練習とそれに関わることにしかお金を使ってないなぁ…と思う。

 

我ながら、成長してるとおもいます。

 

 

軸、軸、とよく言うけど、

軸って何を指すのか、結構曖昧だ。

 

私が考える軸とは、

「沿っている価値観の秩序」だ。

 

よく、「軸がない」とか「軸が欲しい」などと言う人がいるけど、

それってつまりは、「何のルールに沿って行為したらいいのかわからない」ということなんだと思う。

 

価値観はたくさんあるけど、

完璧に秩序立った、矛盾なく成立する価値観は少ないはず。

というか、多分だけど一個しかないはず。

 

たくさん時間をかけて探して間違っても、これというものに辿りつけたなら、その人は本当にラッキーだと思う。

 

その頃にはおそらく、何を選べばいいのかわからないなんていう迷いはなくなっているだろう。

世の中って、そんなもん。

だいたい、客観的に見て、

"誰よりも一番にあなたがやらなきゃならない"という人が一番やりたがらない。

 

世の中ってそういうもんだ。

 

夜更かしをやめるのも、

暴飲暴食をやめるのも、

口テープも、

ヨガも、

免許返納も、

なんだってそうだ。

 

誰もが「おまえが一番やらなきゃならないダロウ」と思っていても、

当の本人だけは完全にわかってない。

 

そういうところが、世の中って興味深いなぁ…って思うんだよね。