shantiな日々

3年ぶりのインド旅行日記だよ。クアラルンプールにもちょっと行くよ。

不貪

ふとん、と読む。あ、しってた?

サンスクリットでは、アパリグラハという。

 

してはいけない5つのことの5番目だ。

 

欲張らない、っていうのは表面的にはみんな花マルをもらえるくらいよくできている。

でも、内面は?もっと、もっと、と競争ばかりしてたりして。ここには承認欲求なんかも含まれる。誰かに認めてもらいたいのは人間だったら当たり前だと思ってる人はとっても多いけど、ヨガは間逆だ。

 

ヨガは、他者からの承認を得ようとする必要はないという。

 

それは勉強を進めれば自然に理解できる教えだ。だからまだ勉強してない人に語る必要はないので、しない。

だってヨガの教えなんて、本当に生き方を変えたいとか、世の中に対する疑問が高まりきったときからじゃないと学べない。

一回学んでわかったつもりになっても、あとからになって全然理解できてなかったことに気付くことがよくある。しかもそれを何度も繰りかえすという、とても面倒な勉強だ。

だから、ヨガの教えをただ説明するだけなんて、本当に意味がないなぁ。と思う。

検定も試験もないから、自分の人生で実験するしか成果を確認する方法がない。

 

話がそれたけど、不貪。

 

私の話だけど、私はヨガのインストラクターに「運良く」なれた。

「運良く」というしかないくらい恵まれた環境を与えられた。

はじめからそこでは私だけが先生で、私専用のスタジオを与えられ、既にいる生徒さんを丸ごと任せてもらい、いきなり店長だった。

 

普通は、東京みたいな都会だったらオーディションとか受けたりするらしい。

生徒さんを集めたり、自分に注目させるために、SNSとか営業活動とか、いろいろやらないといけない。食事会とかもやるらしい。

 

そんな事情なんだから、私の場合はもう「運良く」というしかない。もちろん、紆余曲折は今も続いているけど、そんな環境で何年も過ごさせてもらえて、私は恵まれている。

 

それなのに、だ。

 

あぁ、欲張りだなぁ。と思う瞬間がなんと多いことか。とてもじゃないが、はずかしくていえない。

 

でも、少なくとも、他者の仕事やチャンスを奪ったりすることは間違ってもしないように気をつけよう。

 

この世は誰もがすべきことを持って生まれてきた。

だから、全員が自分の場所でのびのびと、やりたいことをできるようになっている。

 

だから欲張ったり、奪ったりする必要はないのだ。

 

ちゃんとピッタリにできてるから、自然にいきてれば、足りないことなんてホントはないんだ。

 

自戒を込めて。

欲張ってもいいことなんかひとつもない。

 

イソップ物語みたい。

 

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人口知能

人口知能っていうのを使わないと、

私たちはどうなるのか?

 

別にどうもならない。

 

先回りして病気を予測したり予防したりしても「未来が不安だ」という心の焦りは消えない。

 

「ちょうどいい」を感知するセンサーを私たちはもうすでに持っているのに、誰もそんなことには関心を示さず、多くの人は最先端のテクノロジーが最高だと思ってる。

 

知性が置き去りにされた私たちの身体は、そのうちただの欲望のかたまりになってしまうのではないだろうか。

 

思考停止はヨガの目標だけれど、

人口知能による思考停止とは意味が違う。

 

もっと便利になって、私たちはいったい何をするつもりなんだろうか。 

 

便利になったらちゃんとすべきことをするようになるんだろうか。

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健康診断で

健康診断で、腹囲を測ったら前回より3センチくらい増えていた。

 

担当の人が「前回はこうでした」と3センチ少ない数値を指して言ったので、私は「そうですか」と答えたら、担当の人はなんとも言えない微妙な感じで「体重の増減はありましたか?」と聞いてきた。なんで問診の担当でもない人がそんなことを聞くのかよくわからないけど、一応「あったと思います」と答えた。あんたに関係ないじゃないか、と心で思いながら。

  

私は最近ではあまり数値を気にしてない。アーユルヴェーダで、その人のピッタリは一人一人違うと学んだから。

 

よく眠れる、悩みがない、食事がおいしい、体が軽い、気持ちよくウンチが出る、いろんなことを面倒だと思わない、

そういうことが健康だと思ってる。

 

数値だけで健康かどうかなんて、本当は決められないと思う。

 

気持ちよく毎日丁寧に生活できるなら大丈夫なんだろうな、って思う。

 

今の私たちには、そこまで自分を信頼するのってかなり難しいけどね。

 

はぁーあ。

 

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新しい車

新しい車を買うことになり、担当の方からいろんな説明を聞いたり、パンフレットを見たりして、今の車ってなんてたくさんの機能がついているんだろう、と驚いた。

 

信号待ちでエンジンが止まる機能、駐車をナビしてくれる機能、ライトの自動点灯、シートヒーター、あとは追突防止とか、サイドミラーの曇り止めとか、ナビとかいろいろ。 なんと「お誕生日おめでとう」まで言うらしい。

たくさんの便利機能がついているけど、どれも私はいらないなぁ。と思った。

 特に「お誕生日おめでとう」は。

 

だから一番シンプルなやつにした。

それでも私が今乗っている、12年前のものと比べるととても性能が上がってるらしい。

 

なぜか、500㎖紙パックジュース対応のドリンクホルダーが嬉しかった。ほとんど飲まないのに。

ハンドルが白いのも嬉しい。すぐに黒ずみそうだけど。

もう私には十分すぎるくらい。

 

ああ、早く会いたいな♡

 

 

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両極端を卒業するとき

私は、小さい頃から感情的ですぐ泣くし、すぐ笑うし、へそを曲げたりしていた。結構大人になってもやっていた。

 

両極端を卒業しようと思ったのは、本当に生きてて疲れるから。

周りの人に迷惑をかけ、自分自身も消耗し、人間関係も上手くいかないし、生産的なものがなにもない。

 

でも、卒業しようと決めても長年の習慣はそう簡単には直せなくて、大変だった。いつも失敗ばかりしていた。

それがようやく、ここ数年で落ち着いてきた。

トラブルがなくなった。ホッとできる場所が増えた。嫌いな人がいなくなった。

 

ヨガでは、両極端のちょうど真ん中が悟りと呼ばれるところだと教えている。

とても繊細なポイントだ。

絶妙なバランスを必要とする。

 

アーサナの練習でも、そのポイントを探りながら練習すると、とてもおもしろい。できないけど。

 

アーユルヴェーダでもいう。

 

「両極端はトラブルを起こしやすい」

 

相対的、二極性、比較の世界では、極端なことを美徳だと言う人もいるけれど、それは自分が気に入ったように物事が運んでいるときだけだ。常に争っている。たとえ勝っていても、心が安まるときはない。

 

私はそこでは戦えなかった。

そんなにがんばれないのだ。性格的に。

だから、両極端を卒業しようと思った。

 

まだ真ん中にはたどり着けないけど、そこに近づこうという努力はいつまでも続けたい。

 

好きでも嫌いでもない、

正しくも間違ってもいない、

勝ちでも負けでもない、

良くも悪くもない、

 

少し前までは、シーソーの真ん中の支点の場所のようなイメージをしていたんだけど、最近は、シーソーから降りた別の場所なんじゃないか、というような気がしてる。

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牛のふんの…

インドからヨガの先生が帰国した。

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おみやげ、いただいた。うれしい。

なんと、牛のふんの石けんだとか。

…いいにおい。インドのかおりだ。

 

アーユルヴェーダでは、牛のおしっこが入った点耳薬とかもあるんだよねー。

さすがインドだなぁ!って思うのは、それらを売っているところ。

 

自分で買って自分で使うのは少しハードルが高いけど、なぜかもらうと「よーし!」って感じになってくる。

 

いいにおいだし。

炭だから、お肌がツルツルになるかも。

早速使わせていただく。

 

 

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肥料をやること

スタジオのウンベラータに肥料をあげた。

 

実は、12年前にガーデニングを始めてから肥料を買ったのは(買ったのを覚えてないから)初めてだ。

 

肥料なんてあげなくても育つと思っていた。

私は、生きてれば消費するというすごく単純なことにも気付かない大バカ者だった。

 

どうして今まで気付かなかったのか、不思議でならない。

お母さんはあんなに「肥料が足りない」と言っていたのに。

 

 

なんで今まで気付かなかったんだろう?と思うこと、いっぱいあるよね。

今回は、なんか、致命的な感じがした。

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